最愛の夫がいなくなり3週間ほどが過ぎた。
出会って14年、結婚して9年、それはそれは大好きな夫だった。
出会って何年経っても私は彼にときめいていたし、彼も私のことが大好きで、周りからいつもラブラブだと言われ続けてきた。
しかし突然、夫に病気が見つかった。白血病だった。
1年以上抗がん剤やら移植やら頑張ったが、なかなかしぶといタイプの白血病であったようで、駄目だった(白血病には染色体によって色々とタイプが分かれていて、比較的予後の良いタイプと悪いタイプと様々ある。「あの人が治ったから」と言う人がいるが、白血病にも色々あるのだ)。
白血病の宣告を受けた時、そして一旦は寛解したが再発を告げられた時、私の頭には「夫の死」がよぎった。
ほんの少しの死の気配だけで胸がギューっと潰されるような苦しさに襲われたし、パニックで大声で叫びたかった(当時4歳と0歳の子どもの手前我慢するしかなかったが)。
とにかく、絶対に夫を失いたくなかったし、万が一死んでしまうようなことが起きたらきっと私も死んでしまうのではないかと思って恐ろしくて仕方がなかった。
夫はと言うと、治療後半は半年以上退院も出来ず、結果の出ない辛い治療を続けていたと言うのに、家族の前では最後まで気丈に振る舞っていた。本当に凄い人だと思った。
しかしその日はやって来た。
明け方の急変の電話。
タクシーに飛び乗り、号泣しながら病室に着いた。
夫は肺からの出血が止まらず、あとは少しずつ吸える酸素が減っていくだけだと先生から説明を受けた。
(白血病により血小板が極端に少ないため止血はできないのだ)
4時50分位から亡くなる14時14分までほぼずっと隣で声をかけ続けた。
多分ナースステーションまで届く位の大声だったと思う。
最初は、絶対大丈夫だよ!とか、皆んなが待ってるよ!とか、こっちに戻って来て!とか、応援の掛け声だったのが少しずつ、愛してるよ!とか大好きだよ!に変わり、もう駄目なんだろうなぁと悟ってからはひたすら今までの感謝を伝え続けた。
今まで本当にありがとう!
あなたと出会えて本当に幸せだったよ!
私と結婚してくれてありがとう!
家族のために頑張ってくれてありがとう!
子どもにも必ずあなたのことを語り継いでいくからね!
あなたに恥じないように立派に子育てするからね!
暫くすると看護師さんが入ってきて、
「そろそろ、心臓が止まります。」
と、とても穏やかに、静かに、伝えてくれた。
あぁ、彼はもう本当に死んでしまうのだ。
本当に楽しい結婚生活だった。
なぜこんなに仲良しな2人が離れなくてはならないのか。
子どもが生まれてからは、密かに2人の老後を想像しては、早くその日が来ないかと楽しみにしていたというのに。
でもそんな日はもう絶対にやってこないのだ。
いや、本当にやってこないのか?
「子どもを育て終わったらあなたのところに行くから絶対待っててよ!そしたらさぁ!そこでずっと一緒に仲良く暮らそうよ!」
思わずそう大声で叫ぶと、今までずっと息を吸って吐くしか出来ない状態だった夫が大きく口を開けて何か話そうとする仕草をした。
驚いた私はもう一度、
「あっちの世界に行っても私のこと絶対に忘れないでね!あなたの隣に、もう一脚椅子を用意して、そこでずっと待っててね!私は死ぬまであなただけの妻でいるから!約束するから!」
そう言うと、やはり一生懸命口を動かして答えてくれた。
彼の目尻から涙が一筋流れ、そしてそのまま彼は私の腕の中で静かに静かに息を引き取った。
家族だけでなく、その場にいた看護師さんも先生も涙を流していた。
それから、私は不思議な感覚に襲われ始めた。
勿論悲しみは深かった。
家の中に、外に、音に、匂いに、全てに彼の思い出が詰まっていて苦しかった。
しかし、それと同時になぜか胸が高鳴る感覚が始まったのだ。
彼と付き合っていた頃、彼とのデートを楽しみにしていた時の感覚に似ている。
私はこの先、彼が残してくれた愛する子ども2人(彼によく似ている)を育て上げたら、その後、彼に会いにいくことが出来るのだ!
デートの日が近付くと髪の毛のトリートメントをしたり肌のパックをしたりしていたように、彼に会えるまで出来る限り、格好良いまま逝ってしまった彼に釣り合うよう身綺麗にして過ごそうではないか。
そう思うと、毎日に幸せさえも感じる。
彼のiPhoneから出てきた日記の中で、
「○○子(私)が隣にいてくれるなら、死ぬことそのものはこわくない。」
という言葉を見つけた。
私は、彼が望んだ通りに出来たのだ!
ちゃんと隣で、見送る事が出来たのだ!
これは私の今までの人生で、いやこれからの人生の中でも1番の善行なのではないだろうか。
だから必ず神様は私を彼の元に案内してくれるだろう!
彼が元気な頃は色んな欲望があった。
あの街に住みたい。
あれが食べたい。
あんな服を着て、あんな旅行をして…。
でも彼がいなくなり、その全てがどうでもよくなった。
彼がいなければ全て意味がないのだ。
あとは、彼と約束した、彼が思い描いていた子育てをし、彼に恥じない人生を送るのみだ。淡々と。粛々と。
現在36歳、勿論まだまだ彼のところに行くつもりはない。
しかし、私は既に人生の終わりというご褒美に胸をときめかせてしまっているのだ。
おまけ
自分にとって最も大事な人が目の前で動かなくなるという経験をしてから、『生き物が動く』という事がとても不思議に見えるようになった。
電池も、充電も要らずに動ける。
これは本当に驚くべきことだと思う。
おまけ②
本文だけ読むと、夫に会うためだけに残りの人生を送るようで子どもたちが可哀想に思えるかも知れない。
でも彼がいた頃の私はいつでも彼に甘えて、彼に頼りっぱなしのお花畑主婦だった。
母というより、妻だった。
今、彼を失い初めて本物の母親になれたような気がしている。
子どもたちが今まで以上に愛おしい日々だ。
おまけ③
今私は感情に蓋をしている状態だと思う。
少しでも蓋を開けると悲しみの波が襲ってきてしまう。
だからこの状態が今の自分にとっての最適解なのだと思うけど不自然な状態なのだろうとは思う。
これを長く続けるとどんな弊害が現れるのか、誰か詳しい人がいたら教えて欲しい。